昨年、作家の一田和樹さんとの飲み会の席で、一田さんが「日本人は識字率100%だといわれていますけど、実は文字が読めない人が増えているらしいんですよ」とおっしゃったことが、わたしのなかではずーっと気になっていました。
一田さんはサイバーセキュリティの視点から、識字率や長文を読む力が失われることによって、過激なタイトルやツイートだけがひとり歩きしたり、フェイクニュースに疑問を持たない人が増えているのではないか?という指摘をなさっていたように記憶しています。
クリックやリツイート、「いいね」は、内容を確認して行っているわけではなく、反射的に行っている可能性が高い、というわけです。
一応、大学で教えている立場として、とても気になるテーマです。
それ以来、たまに行く書店では、この手をテーマにした本を探していたのです。
「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」では、「東大にAIは合格できるか」をテーマにした、東ロボくんプロジェクトの経験から得た知見をもとに開発されたRST(Reading Skill Test)の結果が、第3章でくわしく解説されています。
衝撃でした。
AIによって淘汰される人間の仕事
オックスフォード大学の研究者が、2013年だったと思いますが、AIに代替される仕事を発表しました。
それによると、現在の仕事の半分が10年~20年以内になくなるというのです。
このニュース自体の衝撃はすさまじいものでしたが、具体的な職業がわかったとしても、人間にしかできない仕事はわかりません。
よく言われるのは創造力、なにかを生み出す能力などですが、これだけだと漠然としています。
そして、もしやアーティストしか生き残れないのか?
という誤解すら生まれそうです。
「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」のすぐれている点は、AIというものの実体をわかりやすく説明していることと、その説明を土台にして、AIに得意なことは何なのか?を明らかにしていることです。
そして、AIに苦手なこととはどんなことなのか、についても明らかにしているのです。
AIにとって苦手な同義文判定、推論、イメージ同定
著者の新井紀子さんは数学者。
AIは、数学で表現できないことはできない計算機に過ぎない、と言い切ります。
しかし、確率と統計を多用したAI技術を駆使すれば、MARCHや関関同立に合格できるレベルまでにAIを成長させることができました。
ところが、国語や英語は、どんなにがんばっても偏差値50程度にしかならないのだそうです。
これは、AIは計算機である以上、意味を理解することができないためです。
言葉を発するためには意図があるはずで、相手に応対しようとすれば、意味が理解できなければなりません。
人間にとっては当たり前のことが、AIにはできないのです。
おまけに常識の壁もあります。
具体例は「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」をお読みいただきたいのですが、季節に応じた言葉使いや、部屋のなかのどこに何があるのかを推論することとか、人間は自然にできることであっても、ロボットには最初に教えておかなければできないのです。
なかでも、どんなに研究者ががんばっても人間並みにできないのが、同じ意味をあらわす異なる文を判定することや、推論なのだそうです。
ところが、新井紀子先生が開発し、現在も調査を継続している読解力について、中学生や高校生にテスト(RST)を受けてもらうと、AIが苦手な同義文判定や推論、イメージ同定などの分野では、多くの中高生がAI並みにできないことがわかってきたのです。
どこの大学に入学できるかは論理的な読解力と推論の力で決まる
RST(Reading Skill Test)は、係り受け、照応、同義文判定、推論、イメージ同定、具体例同定(辞書・数字)の6つのジャンルで構成された、読解力を判定するテストです。
ランダムに出される問題に対して、正答率はもちろんのこと、解答にかかる時間などもデータ化しています。
上の写真は、ある問題の正答率を、大学のランク別に表示したものです。
国立Sクラスの大学のみが、突出して正答率が高いことがわかります。
どんな問題なのでしょうか?
「偶数と奇数を足すと、答えはどうなるでしょうか。次の選択肢のうち正しいものに〇を記入し、そうなる理由を説明してください。
a いつも必ず偶数になる。
b いつも必ず奇数になる。
c 奇数になることも偶数になることもある。」
答えはbですが、その説明が正しくなければなりません。
そしてこの問題は、わたしの家庭教師時代の記憶では、中学生の数学で学ぶものです。
高校入試にはほとんど出題されませんが、数学の基礎を理解するためには重要な問題のひとつで、しかも間違いやすい問題なのです。
著者は、RSTは受験者の現在の基礎的な読解力を測るだけでなく、伸び代を予測する指標となると断言しています。
その理由は、大学の偏差値とRSTの成績に高い相関がみられるためです。
そして、旧帝大(東大、京大、東北大、阪大、明大、北大、九大)に合格者を出している高校だけを選ぶと、さらに高い相関関係がみられたのだそうです。
つまり、偏差値と読解力には高い相関関係があり、基礎読解力が低いと、偏差値の高い高校には入れないということが明らかになったのです。
おまけに、読解力は中学生くらいまでは伸びても、高校になるとほとんど伸びないという結果までついています。
読解力調査でわかったこと
新井紀子先生は、読解力調査から、現時点で判明した次のような結論を列挙しています。
- 中学校を卒業する段階で、約3割が(内容理解をともなわない)表層的な読解もできない。
- 学力中位の高校でも、半数以上が内容理解を要する読解はできない。
- 進学率100%の進学校でも、内容理解を要する読解問題の正答率は50%強程度である。
- 読解能力値と進学できる高校の偏差値との相関は極めて高い。
- 読解能力値は中学生の間は平均的に向上する。
- 読解能力値と家庭の経済状況には負の相関がある。
- 通塾の有無と読解能力値は無関係。
- 読書の好き嫌い、科目の得意不得意、一日のスマートフォンの利用時間や学習時間などの自己申告結果と基礎的読解力には相関はない。
「中学校を卒業する段階で、約3割が(内容理解をともなわない)表層的な読解もできない」とは、大変な衝撃です。
一田和樹さんが指摘していたのは、こういうことなのかもしれません。
そして、現在の教育は、AIには勝てない教育であることがわかってきたということです。
教科書に書いてあることが理解できない学生には、自ら調べることができないし、自分の考えを論理的に説明することもできなければ、相手の意見を正確に理解することもできないのです。
そして、読解力をあげるための効果的な方法論は、今のところ見つかっていません。
著者の経験では、長い裁判を経験した方には、論理的なやり取りができる方が多いようですので、日常的に論理的な読解力が必要とされる仕事や環境にあると、読解力が高まるようです。
上記の結論のなかで興味深いのは、貧困が読解力を下げてしまうという事実です。
以前、紹介したルトガー・ブレグマンの「隷属なき道 AIとの競争に勝つベーシックインカムと一日三時間労働」第3章では、貧困状態の人には次のような特徴があると書かれていました。
- 何かが足りないことに気づくと、人はこれまでとは異なるふるまいをするようになる。
- 欠乏感を抱いている人は、短期的な問題を処理するのがうまい。
- 欠乏感は、長期的な視野を奪う。
- 欠乏は人間を消耗させる。
この4点のなかでも、2番目の「欠乏感を抱いている人は、短期的な問題を処理するのがうまい」というのが、読解力を低くさせる原因のような印象を持ちます。
なぜなら、フレームが決まっているドリル問題では、教える側が期待していることとは別の方法で、そのフレームだけに特有の妙なスキルを身に着けるためです。
つまり、貧困とはお金のないことなので、お金のないときというフレーム問題と考えられるからです。
そして、苦痛(貧困)から逃れられる方法や手段など、個人的な知識にもとづくスキルによって、最短距離の結論に飛びつくのです。
年収の中央値は、21世紀に入り、先進国では下がり続けています。
比例して貧困率も高まっているわけですから、読解力が下がる原因のひとつとして、世帯年収の低下があげられるのかもしれません。
AI不況がもたらす近未来
AIによって代替される仕事とは、フレーム(枠組み)が決まっていてマニュアル化しやすい仕事です。
意味の違いを理解できないAIには、一を聞いて十を知る能力や応用力、柔軟性、フレームにとらわれない発想力はありません。
逆にいえば、そういう能力こそが人間に求められているわけで、その基盤となるのが読解力だというわけです。
AIはコストを減少させる仕事は得意ですが、自分で新しいものを生み出せません。
しかし、読解力調査の結果からは、この先20年くらいのあいだに、事務系の仕事を中心にAIにとって代わられるうえに、現在の教育ではAIに太刀打ちできる人材は、上位20%くらいしかいないことになります。
そして、仮に、AIによって新しい職業が生まれたとしても、AIにできない仕事ができる人材(高い読解力を有する)は不足するため、新しい産業や職業が経済成長のエンジンになるとは限らない、というのです。
つまり、AIで仕事を失った人は、低賃金の誰にでもできる仕事に再就職するか、失業することになるのです。
この傾向はすでに表れていて、世界的に需要の高い職業は、ファーストフード店の店員や介護士のような、低賃金の職業なのです。
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※本文は「私の読書感想文~旅の間に間に」から転載しています。
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